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Column / 2022.09.11

BiSHモモコグミカンパニー、誕生日に綴った「自分宛の手紙」まわりを大切にする秘訣は?

2021年末に初の『NHK紅白歌合戦』出場を果たし、2023年をもって解散することを発表した”楽器をもたないパンクバンド”BiSHのモモコグミカンパニーさん。本誌9月号の新時代創作プロジェクト連載「1 PICTURE 1 STORY」vol.4で、初の”超短編”小説『インターネットダイビング』を綴った彼女が、”執筆の原点”を明かす。

モモコさんの執筆人生は、”秘密のノート”から始まった。

「学校で書く作文や、クラスのみんなでやっている交換ノートもたくさんあったんですけど、私は好きになれなくて。作文は自分の成績につながるものだから、先生がどんな気持ちで読むのかを考えすぎてしまって全然楽しくなったし、交換ノートも何人もの友達とやっているから本当のことなんか書けないし、『すっごくめんどくさいな』と思いながら返していました。

ただ、”誰にも見せないノート”は自分の中でとても大切で、別の括りにしていました。そこでだけは自由でいられますし、自分の”心の整理整頓”用にもしていて。今でも、自分のためだけに書くことは続けています。もちろん誰にも見せられないですが、『モモコグミカンパニーさんへ』という自分宛ての手紙を書いたり。

それから私、けっこう物忘れしちゃうんですよ(笑)。だから、『このときの気持ちを忘れたくないな』と写真に収めるような気持ちで出来事を記録するために書いているのもあります。人生って本当に儚いという感覚が常にあって、『いま感じたうれしい気持ちとか悲しい気持ちも、全部ぜんぶ忘れていっちゃうんだな自分は』と思っているから」

“誰かに見せたい” “褒められたい”という他人への意識をもたず自分のために書くことのほうが、モモコさんにとっては自然だった。そして”記録”は、創作へと変わっていく。

「私、学生時代は歌もダンスも体育も全部できなかったんですけど(笑)、読書感想文や創作で小説を書く課題で先生にたまに褒めてもらえたのは、すごくうれしかったですね。教科としての国語は苦手でしたが、なんでも自由にやれって言われる課題は好きでした。

きちんと起承転結がついていない断片のような物語や、黒歴史すぎるんですが”シブめの詩”を、小学生のある時期に書くようになりました(苦笑)。谷川俊太郎さんをはじめ、そのころ尊敬していた人たちが詩を書いていたり、脚本を書いていたり、小説家だった影響だと思います。

詩や小説には物心ついたときからずっと憧れがあって、『書けたらかっこいいんだろうな』と思っていました。でも、ちゃんと書いてみて書けなかったら嫌だから、本気では手をつけられていなかったのが正直なところです。だから詩や小説に向き合えるようになったのは、大人になってからなんです」

BiSHで培った「ぶっつけ本番精神」不可能を可能にするのは“一か八か”

書くことに本腰を入れたきっかけは、同じチームのメンバー達だった。

「ソロでCDを出しているメンバーが4人もいるし、歌える子が多いんです。ファンの人の声もあって、昔は『歌でみんなに追いつかなきゃ』『自分もソロで歌を出さなきゃいけないの?』とメンバーと同じベクトルで考えてしまい、自尊心も低めでした。

歌詞を書くことならBiSHの活動に貢献できますし、歌が上手くなったらライブで発揮できますけど、小説を出しても”BiSHのため”にはリンクしないですよね。だから解散発表まではずっと、歌とダンスを第一にがんばっていて。自分が好きな書くことは二の次になるし、『書くことをがんばってもしょうがない』と思ってしまう自分もいました。エッセイを2冊も出させていただきながら、じつは堂々と『本を書きたい』とは言えなかったんです。でも、2019年の冬にBiSHの解散が決まってから変わりました。

『グループの中でみんなの標準に合わせてレベルを高めることも大切だけど、それよりもっと自分らしくいられる場所に力を注いでいいんだ』――そう思えて、すごく楽になりました。

“BiSHのための自分”から”やりたいことをするための自分”にシフトしたときに、思い浮かんだのが小説を書くことでした。改めてソロ活動でも輝くメンバー達を見て『自分も書くことに本腰入れてがんばっていいのかな』と思えるようになりましたし、すごく大きなきっかけになりました」

そしてBiSHでの活動が、一歩を踏み出す勇気をくれた。

「私にとって小説を書くことは、プロの作家さんが何年もかけて取り組んでいる、ものすごくハードルが高いことでした。それでも挑戦できたのは、ぶっつけ本番で身の丈以上のことに挑む精神を、BiSHの活動で培われてきたからだなと。

たとえばBiSHはこれまで、埋まらないんじゃないかと不安になる大きな会場に手を伸ばすことがすごく多かったんです。いきなり横浜アリーナでワンマンやります、幕張メッセでやりますと発表されたときは『無理だ』と思うんですけど、結局、達成できていて。そこに十分たどり着く実力があると確認できてから着地するよりは、ちょっと手が届かないかもしれないけど、そこに向けて努力するスタイルでやってきました。

だから小説なら、書きながら見合った実力をつけて、足りないところに気づけばいい。むしろ自分の中には、『100%自信をもって小説家だと言い切れるまでがんばってから本を出しても、もう遅い』という感覚があって。BiSHでも、本番のステージに立ってみないとわからないことが、たくさんあったからです。

書きますと言って書けなかったり、おもしろくないと言われたらどうしようと考えて、ものすごく怖くなったこともあります。でも、ずっと『いつか書きたい』だけだったらカッコ悪いし、いつまで経っても書けないと気づいたんです。書いてみて書けなかったらやめればいいし、書けたらラッキーと開き直って”一か八か”の覚悟で臨みました」

そうして書き上げた初めての小説が、今年3月に上梓したデビュー作『御伽の国のみくる』(河出書房新社)だ。

「小説を書く前に出させていただいたエッセイ2作は、編集者さんや渡辺さん(事務所社長の渡辺淳之介氏)に書きませんかと言われてから書き始めたものでした。でも、小説は私が勝手に書いて、勝手に河出書房さんに送ったのが始まりです。

考え抜いて始めたことだったから『どんな結果になっても、小説だけは自分で責任取りたい』と思っていましたし、そのほうが自分もがんばれるなと。私にとってすごくハードルの高いものに挑むからこそ、誰かに頼まれて書きたくないと思っていました。

書いてみて、すごく手間がかかったし大変だったんですけど、つらくはなくて、むしろ楽しかったんです。”大変”と”つらい”は別物なんだと、小説を書いて実感しました。思い返せばBiSHで歌詞を書き始めたときも同じような気持ちで。大変さと楽しさが共存した新鮮な感情に、また出会えてうれしかったです」

私の誕生日は誰のもの? コロナ禍に気づいた「新解釈」

小説家として一歩を踏み出したことで、モモコさんの世界が広がった。

「まず、執筆のオファーが増えました(笑)。bisさんの『インターネットダイビング』もそうですが、文章力をつける機会にもなりますし、すごくありがたいこと。エッセイだけしか出していなかったら、こうはならなかったと思います。それから、尾崎世界観さん(クリープハイプ)やカツセマサヒコさんのラジオに1対1のゲストで呼んでいただいたり、今まで会えなかった人にお会いできたのは、小説を書いたおかげです。

とくに尾崎さんは、アーティスト活動の中で歌詞も書いて小説を書く……という境遇が似ているなと勝手に思っていて。もちろん全然レベルは違うんですけど、ラジオで創作のことを対面でお話しできて、とても楽しかったです!」

一方で”自分のために書く”ことも、密かに続けている。

「『きみが夢に出てきたよ』というエッセイにも書いたんですけど、学生のころから誕生日がすごく怖かったんです。誰にも祝ってもらえないんじゃないか、学校に行ったとき黒板に誕生日おめでとうって自分だけ書かれてなかったらどうしよう、誰と過ごしたらいいんだろう――。誕生日を迎える気恥ずかしさもありましたが、そんなことばかり考えてしまっていて。

BiSHのモモコグミカンパニーになってからは、より”誰かのための自分の誕生日”になっていました。そんなときコロナ禍で誕生日をひとりきりで過ごすことになったんですが、自分に向き合おうと決めて過ごしてみたら、すごく楽になれて。そしたら、『誕生日って誰かのためじゃなくて、これまでちゃんと生きてきた自分を褒めてあげる日だな』って思えたんです。

誰かと一緒にいるから偉いんじゃなくて、自分でがんばってきたことが偉いと言えることが大切。何がつらくて、何がうれしくて、何が悲しかったのか、これから何がしたいのか。自分に向き合うために、そういうことを自分宛ての手紙に書きました。

自分のために書くことで自分の機嫌がとれれば、まわりの人も大切にできる気がします。もちろんそれでも不機嫌になってしまうときはあって、たまにまわりを嫌な気分にさせてしまっているのは自覚していますが、そんなときはそのままメンバーやスタッフさんに甘えてしまいます(笑)」

言葉と生きていく決意をした今のモモコさんにとって、書くことの意味は?

「しゃべったり表情で伝えるよりも、書き言葉で伝えるのが自分らしいという思いがあって、いちばん感情が伝えやすい表現方法だと思っています。だから書くことは、”自分の一部”のように大切にしてきました。

私は昔から、人が傷つくんじゃないか、嫌な気持ちになるんじゃないかと考えてしまって、思ったことをパッと口にできないんです。でも今は、ネットを通じたものも含めていろんな伝え方がありますよね。『対面で言えなかったら、言わなくてもいい』と気づけてから、楽になりました。

今の私にとって書くことは、”自分の形”を確かめる行為であり、自分の人生を残すもの。そして、人生を進めるものでもあります。長編小説の第2作を書いたら、人生がまたちょっと進む気がしています。つまり、私の人生と書くことは直接リンクしていて、切っても切り離せないもの。だからこそ、これからもがんばりたいです」

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<PROFILE>
モモコグミカンパニー/BiSH(ももこぐみかんぱにー/びっしゅ)
2023年をもって解散することを発表した“楽器を持たないパンクバンド”BiSHで、2015年の結成時から活動中。メンバーの中で、もっとも多く作詞を手がける。2018年に初の著作『目を合わせるということ』を刊行。2022年3月に上梓した長編小説デビュー作『御伽の国のみくる』(河出書房新社)が好評発売中
Twitter:@GUMi_BiSH
Instagram:@comp.anythinq_

Photo_Takuya Iioka Hair&Make-up_Yumi Hosaka[éclat]