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Interview

Interview / 2022.03.09

原宿ファッション界を牽引。結婚・出産・現在まで、AMOさんが半生を語る!

自身の閃きを信じ、アグレッシブに生きる女の子にフィーチャーしたスペシャルインタビュー。モデルとして活躍後、現在はファッションブランドのディレクターを務めるAMOさんが登場。彼女の心を突き動かした好奇心のもとや、勇気を持って歩んできた山あり谷ありの半生を感じて。

「人一倍強かったおしゃれに対しての好奇心。私の世界を広げてくれたのはいつも“人との出会い”でした」

――原宿ファッション界をリードする存在であったAMOさん。結婚・出産を経て、現在は「RUBY AND YOU」のディレクターとして活躍されていますが、ファッションに興味を抱いたのは子どものころからでしょうか?

幼稚園のころから「こうすると可愛く見える」みたいなこだわりがあった気がします。前髪はぱっつんで、ツインテールか三つ編みが好き。おさがりの服をいっぱい持っていたから、一日に何度も着替えてました。ただ小学校に入ってからはすごく制限されたんです。親に「いちばん効率的だから」って髪を短くさせられて、ずっとショートカットだったんですよ。高学年になると『ピチレモン』とか『ハナチュー』とかファッション雑誌も読み始めて、キッズブランドが流行りだしたんですけど一切買ってもらえなくて。おさがりかヨーカドーとかで買った服しか着られなくて、Tシャツに自分でロゴを描いたりしてたんです(笑)。服だけじゃなくそのころ流行っていたおもちゃのファービーも買ってもらえなくて、友達には「持ってるけど電池が切れてる」ってごまかしたりしていました。なりたい自分にぜんぜんなれない時代で、すごいコンプレックスでしたね。

――おしゃれが好きな気持ちがあってもやり場がなかった?

人一倍おしゃれに対しての好奇心が強かったから、雑誌を買って熟読していました。服は買えないけど雑誌を読み漁って、知識だけはある感じ。可愛い服のイラストや漫画を描いて発散したり、このころのおかげで想像力が育まれた気がします。本当に好きだったから、当時から洋服に関わる仕事をしたいと思っていました。中学に入ってからは暗黒期で、不登校だったんです。いじめが原因で学校に行かず、親の言うことも聞かなくなりました。かといってヤンキーになるわけでもなく、家で『セブンティーン』とハリー・ポッターを読む日々でした。当時小中学生の情報交換サイトみたいなのがあって、文通相手を探したりプリクラを送り合ったりしてたんです。そこで個人ホームページを作ることができて、色とかデザインで自分の好きな世界観を自由自在に表現できたんですよ。日記には「今不登校で、自分はこんなファッションが好きで」っていうことを赤裸々に書いていたら、共感してくれる人がコメントを残してくれて。自分もコメント残しに行って、そこで初めて友達との交流が広がったんです。関東住まいの子とは実際に会ったりもして、今も仲よくしている友達がいっぱいいます。

――その生活から読者モデルになるまでどんな経緯がありましたか?

中学校3年生のときに渋谷に行ったらSHIMAのスタッフに声をかけられて、月1で吉祥寺店にサロンモデルをしに行くようになったんです。そこに置いてあった『CUTiE』や『Zipper』を読んで、自分に合ってるのはこれだって気づきました。同時期くらいにホムペで知ったSpank!っていう高円寺の古着屋さんに興味を持って。アメリカの80’sみたいなファンシーな感じが好きになって、SHIMAの帰りにSpank!に寄ったり原宿に行ったり世界がどんどん広がっていきました。服装も髪色も派手になっていくうちに『FRUiTS』とか『KERA』のスナップに載り始めて、高校1年生の秋くらいに『KERA』編集部から撮影に来てもらえませんかっていう連絡をもらって、メイクページに呼んでもらったのが最初です。

――高校は普通に通っていたんですか?

最初は普通に通い始めて友達もできたんですけど、途中で通信制に切り替えました。6%DOKIDOKIっていう原宿のお店の舞台みたいなショーがあって、その主演に抜擢されたんですよ。そのレッスンのために下北沢に通ったり、お店で販売員としても働くようになって。『KERA』の撮影にもコンスタントに呼ばれるようになって、結構忙しかったんです。美容師さんをはじめ、ショーで出会った着ぐるみ作家さんや照明さん、音響さん、撮影で会うモデル仲間や雑誌の編集さん、ライターさんとか、普通だったら出会えない人達のなかに飛び込んだらすごい刺激がいっぱいあって。学校で学ぶことも大事なのかもしれないけど、私が今学びたいことや吸収したいことはこっちの世界にあると思ったんです。今自分がせっかくいい環境にいるから、それがメインの生活にしたい。とにかく好奇心が刺激されるほうに導かれている感じでした。

――そこから『Zipper』の読モである"パチパチズ"になったんですね。

文化服装学院の友達に誘われて文化祭に行ったとき、『Zipper』のスナップ隊に声をかけられました。すでに私のことを知ってくれていて、撮影にも呼ばれるようになって。『KERA』では用意された衣装を着ていたので、自分の好きなフェアリー系の服を着る機会はなかったんです。『Zipper』は服がたくさん並んでいるなかから、「好きなの選んで着てね」って。MILKもある、Katieもある、Candy Stripperもある、そんななかから好きにコーディネイトしていいなんて、小学生のころの自分からしたらなんて夢のような世界なんだろうって思いました。メイクもセルフだし、撮影とは別の日にコーディネイトを組みに行ったりすごく大変ではありましたね。コーデを組んでいたら終電を逃して夜中にマックを食べたり、誰かの家で雑魚寝したり、人気の服は取り合いになったりするライバル同士もいたけど、誰かの誕生日になるとパチパチズ15人くらい集まってお祝いして。ネットで知り合った友達はいたけど、中高で学生らしい生活が一切できなかった私にとって、大勢の仲間に囲まれてみんなと過ごすことは遅れてきた青春みたいな感じでした。

――当時から映画やガールズカルチャーが好きだったんですか?

中学生のときに観た『キューティ・ブロンド』から始まって、ヒラリー・ダフの『リジー・マグワイア』っていうドラマとか『ハイスクール・ミュージカル』が大好きで、アメリカのティーンが観るような映画やドラマをたくさん観ていました。そこからだんだん嗜好が変化していって、美容室のValentineとの出会いで大きく変わりました。今もお世話になっているBettieの山本さん世代の美容師さんはカルチャー色が強くて。音楽でもファッションでも映画でも、なんでも詳しいんです。そこでいろいろ教えてもらったことや洋雑誌で見たことを吸収して、1冊目のスタイルブック『AMOSCREAM』に反映させました。

――そんな人気絶頂のなかでの結婚発表は本当に突然でしたね。

1冊目のスタイルブックを出したときに完全燃焼して、燃え尽きたみたいな気持ちになっちゃったんですよね。自分のなかでAMOとして表現したかったことは全部やり切った気がしたんです。このころ自分のやりたいことと活動のなかにギャップが生まれてきたりして、戸惑いがありました。『Zipper』に出始めたころのときめきとは違うモチベーションで仕事していた気がして。というのも「AMOちゃんってこうだよね」っていうイメージが独り歩きしていて。みんなが求めてる自分でいなくちゃとか、こういうものを発信すればみんなが喜んでくれるみたいな、他人軸で自分をプロデュースしている感じがあったんです。本当は違うテイストのファッションやヘアメイクにも興味があったのに、自分のなかで"AMOちゃん像"を作り上げてしまって。『Zipper』でも世代交代の雰囲気を察知したり、仕事でもプライベートでもいろいろあった時期でした。そこからちょっとずつ自分を解放していきたいなって思い始めたタイミングで今の旦那さんに出会って、年上だったから結婚も最初から視野に入っていて。当時は15歳で働き始めていろいろ経験したと思っていたので、今思えば若いんですけどすんなり結婚できましたね。

――2冊目の著書『Get Up Girly』はまさに揺れ動く女の子の変化にフィーチャーした本でした。その後出産を経て、「RUBY AND YOU」がスタートしましたね。

最初はすごい消極的なスタートだったんですよ。昔の“AMOちゃん像”を求められても困るし、今表現できることが私にあるのかなって。子どもが生まれたとき、今まで自分が着ていた服はもう必要ないと思ったんです。好きだけど、今着たい服はそれじゃない。子育てに向いた服でもないし、お化粧もほとんどしなくなったからクローゼットの中をまるごと変えて。変わったことをネガティブに捉えられることもあったんですけど、子どもが生まれたら優先順位が変わるなんて自分にとっては当たり前で。そのなかでもシンプルな服をどんなふうに着こなすかとか、自分が見せたいものがちゃんとあったから、それをどうやって表現したらいいのかを模索していました。SNSもやめていたので宣伝の場が何もない状態だったんですけど、ブランドをもっと知ってもらうためにインスタを始めたらやっぱり自分の世界観を発信することが楽しいっていうことに気づきました。

――そして2人目の出産でもまた変化が起きましたね。

病院の健診で女の子だって言われた瞬間、リアルに目の前にお花が飛んでピンクの世界がぶわぁって広がったんですよ。「花柄とかフリフリとか買っていいんだ!」って、その足で子ども服を見に行きました。自分が着る服にもガーリーな要素が戻ってきて、それがブランドにも反映されています。上の子が幼稚園に行き始めて、そこで出会ったママ友ともいい関係が広がりました。それまで「お母さんだから」って制限していた部分もあったんですけど、子どものためだけに自分を制限するんじゃなくて、自分自身の人生も楽しみながら子育てをしたいって思うように変わりました。

――最新の著作『気づけば大人になっていたけれど、わたしはわたしのままだった』にもその気持ちが反映されていますね。では、これからやってみたいことや目標はありますか?

自分のような30代以上の女性向けのメディアを作ってみたいです。私がそうだったみたいに、身近に同じ趣味やファッションの仲間を見つけられずにいる人は全国にいっぱいいる気がするんです。特に子どもがいたり年齢的にだったり、好きなものとのギャップのなかにいる人達に向けて「それでいいんだよ」って発信できるようなアイコンでいたい。ここに仲間がいたって思ってもらえるような媒体をいつか生み出せたらいいなと思っています。

AMO:1991年2月19日、千葉県生まれ。A型。青文字系雑誌を代表するモデルとして活躍後、結婚。2015年よりファッションブランド「RUBY AND YOU」を始動。現在、2児の母。

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Photo_Karin Ikeda Text&Edit_Saeko Kudo